大学生になってまで世話を焼かれる煩わしさ
高校生活を振り返ってみてください。義務教育を終えたとはいえ、まだまだ親に頼ることの多い3年間だったのではないでしょうか。朝は親に起こされ、つくってもらった朝食を食べ、つくってもらった弁当を持って登校。学校では先生の授業を受け、ときには生活指導が入ったり、進路指導であれこれうるさく言われる。帰宅すれば、つくってもらった夕食を食べる。テスト前や大学受験を控えるシーズンにテレビでも見ていれば親から「勉強しなさい」と小言をこぼされる。10代後半にもなって、親や先生の管理下とも呼べるような高校生活。そんあ生活から一気に解放されるのが、卒業後の進学、ひとり暮らしの始まりです。
親元を遠く離れますから、まず親の目は届きません。新しい環境、新しい友人。そして自分は完全に自由の身なのです。「大学生デビュー」などという言葉があるようですが、大学生になったとたん弾けるように遊び、自由を満喫する人も多いようです。
このように、一人でのびのびと暮らす自由を求めて、受験勉強に取り組み、打ち勝ってせっかく大学に入ったのに、今さら人の世話にはなりたくない。そう考えるのはむしろ自然なことでしょう。人とのふれ合いよりも、自分自身のプライベートやペースを尊重するのであれば、下宿など敬遠してしまうものかもしれません。しかし、マンションやアパートなどで一人暮らしをする人からよく、こんな声が聞かれます。「さみしい」「病気になった時がつらい」。よほどの徹底した個人主義でない限り、人を求めるのが人です。世話を焼いたり焼かれたりの中に、人と人とのふれ合いが生まれ、それが喜びへと変わることも少なくないようです。

徹底した個人主義が発達した背景とは。
下宿には、部屋の設備など、どことなく古臭いイメージがある。